茶谷幸治の経歴

マーケティングから、イベントから、結局、ツーリズムに行き着きました。物見遊山の観光でなく、知的スポーツ、知的産業としての地域活性化ツーリズムですよ。

茶谷への連絡はメールでどうぞ chatani001@ybb.ne.jp 電話でも 090-5250-7128

1969
早稲田大学第一政治経済学部政治学科卒業
同年
株式会社電通入社 大阪支社(当時)クリエーティブ局CMプランナー
1961
株式会社電通退社 株式会社経営企画センター設立
1993
「アーバンリゾートフェア神戸’93」チーフプロデューサー
1994
「ジャパンエキスポ世界リゾート博」催事プロデューサー
1995~96
「神戸ルミナリエ」第1回・第2回プロデュース
1999
「ジャパンエキスポ南紀熊野体験博」総合プロデューサー
同年
「しまなみ海道'99」広島・愛媛両県総合プロデューサー
2002
「播磨の武蔵キャンペーン」総合プロデューサー(兵庫県ツーリズムプロデューサー)
2003~04
(社)日本観光協会都市観光活性化推進会議委員
2003~08
関西学院大学非常勤講師
2004~06
「長崎さるく博」総合コーディネートプロデューサー
2009~10
「古代史の島・壱岐キャンペーン」総合プロデューサー
2008
『まち歩きが観光を変える~長崎さるく博プロデューサーノート』(学芸出版社)
2008~
「大阪あそ歩」チーフプロデューサー
2012
『「まち歩き」を仕掛ける』(学芸出版社)
2011~13
大阪大学コミュニケーションデザインセンター招聘教授
2013~14
「名古屋やっとかめ文化祭」総合プロデューサー
2017
小説『大阪ヘラヘラ』(大遊舎)
2019
小説『淀屋 四代目と五代目と』(大遊舎)
【現在】
一般社団法人大阪あそ歩委員会(大阪コミュニティツーリズム推進連絡協議会)代表理事
株式会社経営企画センター代表取締役
何夕庵主宰

       

7行プロフィール

 イベントとツーリズムのプロデューサーとして「アーバンリゾートフェア神戸'93」のチーフプロデューサーを皮切りに「世界リゾート博」の催事プロデューサー、「南紀熊野体験博」「しまなみ海道'99」の総合プロデューサーを務め、一貫して地域・住民主体の地域活性化イベントを主導してきた。その集大成が「長崎さるく博'06」で、日本ではじめてのまち歩き博覧会を市民主体で成功させた。その後も、「大阪あそ歩」、「名古屋やっとかめ文化祭」の総合プロデューサーとして地域主体を推し進めてきた。1946年大阪生まれ。著書に『まち歩きが観光を変える』(学芸出版社)『イベント化社会』(関西学院大学出版会)『「まち歩き」をしかける』(学芸出版社)、小説『大阪ヘラヘラ』(大遊舎)、小説『淀屋 四代目と五代目と』ほかがある。

少し詳しく説明させていただくと

マーケティング&経営コンサルタント
 茶谷の電通勤務時代はクリエーティブ局に所属するテレビCMのプランナーでしたが、セールスプロモーション局にも席を置いて「街づくり」も手がけ、一方で商品のマスマーケティングも担っていました。独立して設立した「株式会社経営企画センター」では、マーケティング戦略を中心に関西企業の多面的な広報宣伝活動のサポートを請け負いました。販売戦略、広告・販促、集客、商品開発、組織開発を得意分野とし、戦略に参画した企業は100社を超えます。食品、酒造、薬品、アパレル、保険、自動車、美容サービスなど業種は多岐にわたり、メーカー、卸、小売ではRC、FC展開からSC、百貨店、専門店まで業態も多様でした。この30年間にこなしてきたマーケティング作業が、その後の地域と地域産業に関わる仕事に反映しています。恥ずかしながら中小企業診断士の資格もありました。

イベント・プロデューサー
 茶谷がイベントプロデューサーとしてすでに大きな評価を得ていることは、経歴表でもおわかりいただけるでしょう。大規模イベントでは、神戸市の都市像を定めようとした「アーバンリゾートフェア神戸'93」がきっかけで、体験型博覧会を標榜した「世界リゾート博」、熊野古道をメインテーマに取り上げた「南紀熊野体験博」(その後、世界遺産登録にまでつながったのは周知のとおり)、瀬戸内海の海の道を際立たせた「しまなみ海道'99」、そして、日本ではじめてのまち歩き博覧会「長崎さるく博」へ、さらに、ふるさと大阪での「大阪あそ歩」へ、名古屋「やっとかめ文化祭」へと、茶谷の手がける地域主導イベントは進化していきました。
 その過程は、地域主体で展開する地域活性化イベントの一貫した追求でした。地域資源・市民活力をそのまま活かした大型イベントでは他の追随を許さない第一人者になっていると自負しています。

ツーリズム/観光プロデューサー
 マーケティング、イベントプロデュースの経験は、結局、「ツーリズム(観光)」に行き着きました。「ツーリズム」こそ地域が自らの力で地域を活性化させ、地域の将来を担いうる具体的な産業分野であると気づいたからです。もう口先だけの計画書やスローガンは要らない、地域は自ら立ち上がるだけ、そう思うようになりました。
 いま、秋田県から沖縄県まで日本各地を、観光による地域活性化のアドバイスに飛び回っています。物見遊山ではない文化産業としての観光への理解は、なかなか進まないのですが、辛抱づよくやるほかないのです。さもなくば、人口減少が続く中で、日本の地方は、地方都市は、過去の繁栄を懐かしむだけの廃墟になってしまうという危機感があります。
 日観協の都市観光活性化推進会議ではプロモーション部会の座長をやりました。現在、同協会のカリソマ観光アドバイザーになっています。兵庫県のツーリズムプロデューサーのころには「スローツーリズム」を提唱し、長崎では日本ではじめてのまち歩き博覧会「長崎さるく博」で都市観光の新しい局面を切り開きました。さたに、大阪の観光状況を一変させようと、大阪コミュニティ・ツーリズム推進連絡協議会チーフプロデューサーとして「大阪あそ歩」を立ち上げ、大阪の市民主体で自立する活動の推進に取り組んでいます。
 著書『まち歩きが観光を変えるー長崎さるく博プロデューサーノート』では、「まち歩き」による観光開発やまちづくりの実例、プロデュースの手法をひとつのプロトタイプとして示しました。
 『「まち歩き」をしかける~コミュニティ・ツーリズムの手ほどき』 では、なぜ、いま、「まち歩き」がブームなっているかを考えるとともに、「まち歩き」のしかけ方をやさしく、くわしく説kました。

教壇で“イベント化社会” “都市ツーリズム”
 2003年から2008年まで関西学院大学の社会学部で「メディア文化特論」の非常勤講師を務めました。また2011年からは大阪大学コミュニケーションデザイン・センター(CSCD)の招聘教授として院生・学部生・社会人に「都市ツーリズム」の理論と実践を指導してきました。その後は、北海道大学や愛媛大学、文教大学などに招かれて、学生に「まち歩き」の背景や理念、効果などを時に応じて講義しています。

「何夕庵」主宰
 かつて、ひたすら詩人をめざすと、心に決めていました。そこで「何夕庵」を主宰し、短詩創作の活動を開始しました。その昔、『詩集・跛行形』をものしてからずいぶん久しいのですが、死ぬまでに第二詩集を出したいともくろんでいます。

小説『大阪ヘラヘラ』
 「大阪あそ歩」をプロデュースしているときに、大阪の伝承説話の豊富さに驚いて、3話の小説を書いてみました。周辺から好評を得たので出版したのが『大阪ヘラヘラ』(大遊舎)です。あまり知られていないけれど大阪らしい実在した人物を調べて書きました。「へらへら生きる」ことのすごさをわが身に感じるようになりました。

小説『淀屋 四代目と五代目と』
 前作の評判がよかったことに悪乗りして第2作を書いて出版しました。中編物で、やはり大阪の実在した謎の人物に迫ってみました。本物の人物像にかなり迫ることができたのではないかと思う。米取引がなぜあんなに儲かったのか。あり余るカネを手にするとはどういうことか。元禄の浮世に振り回された人間の生きざまを書いてみました。書いてみて「生きる」ことの喜びと悲しさが少しわかってきました。