南紀熊野体験博

南紀熊野体験博公式ガイド表紙1999001.jpg

南紀熊野体験博002.jpg

毎日新聞開幕前1999 2.jpg
自然がパビリオンという秘策
「神戸ルミナリエ」から手を引いてしばらくおとなしくしていましたが、「世界リゾート博の恩恵が全くなかった南紀で博覧会をやってほしい」と和歌山県の西口知事から頼まれました。ならばと引き受けて、かねてから熱望していたエリア一面が博覧会場という冒険をやってみることにしました。県幹部には賛否両論がありましたが、知事は茶谷を支持して、南紀熊野地方全体で「南紀熊野体験博」をやることになったのです。「アーバン神戸」や「リ博プレイベント」で手ごたえをつかんでいた私は、この実験的な展開に自信がありましたが、「田舎にこそ銀座が必要」という頑固な主張が事務局に根強くてさまざまな抵抗にあいました。そこで打ち出したのが「熊野古道が最大のパビリオン」「南紀の海がそのまま会場」という秘策です。しかし「そんなもので人が来るなら、とっくに来ている」という反論は終了までいつもぶつぶつと燃えていました。
毎日新聞閉幕2-1999-3.jpg毎日新聞閉幕後
300万人が熊野に
会場が南紀の海や熊野古道ですから、正確な来訪者数は記録できませんが、拠点ごとの調査をまとめると300万人を超えたという数字はけっして誇張ではありません。この博覧会の残したものは多くあります。私の友人で英国の世界的な絵本作家であるジョン・バーニンガムさんを招いて記念の絵本『地球というすてきな星』を描いてもらいました。この博覧会のテーマキャラクターとしても使用しました。また、博覧会で突如スポットライトを浴びた熊野古道が「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界文化遺産に指定されました。
テレフォンカード001.jpgwith JB005.jpg

・・・・・実は、このとき、茶谷は愛媛県と広島県からもうひとつ、プロデュースの要請を受けました。「しまなみ海道'99」です。