大阪あそ歩
  第4回観光庁長官表彰を受賞しました

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「大阪あそ歩」~自立したコミュニティ・ツーリズム~
2008/10~
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「大阪あそ歩」というのは、私のふるさと大阪ではじめた「まち歩き」です。「長崎さるく博」の成功をうけて、全国で「まち歩き」ブームが起こっていますが、大阪もその一つ、「まち歩き」効果に気づいた大阪市が私のプロデュースのもとにコミュニティ・ツーリズムの事業として始めるのですが、大阪は、人口40万人の長崎と違って260万人の大都市です。しかも純粋の観光都市ではなくむしろ産業都市として自己認識しています。そこでの「まち歩き」は、考え方から実施方法まで、長崎の焼き直しとはいきません。その結果、思わぬ事態に直面し、思わぬ展開に挑戦することになりました。

コミュニティ・ツーリズム
 「コミュニティ・ツーリズム」という聞きなれない言葉を使いますが、これは「大阪の観光や文化を何とかしなくちゃならない」と感じていた研究者・市民が数年前から提唱してきたことで、その内容は次のようなものです。

     ・生活文化やライフスタイルを見せ、今の時間を体験する。
     ・歩く道すがら暮らしを体感し、交流する。
     ・ツーリズムを通じて、人々とふれあい、交流する。
     ・他の地域の人たちを招きいれ、交流を拡大する。

 この箇条書きでは、要するに、物見遊山の観光ではなくて、市民レベルの生活文化の観光をやろうということです。ということになると、私がやってきた「まち観光」や「まち歩き観光」と全く重なり合うわけで、今後の大阪の観光はこれだと考えてた大阪市は、大阪商工会議所、大阪観光コンベンション協会とともに「大阪コミュニティ・ツーリズム推進連絡協議会」を立ち上げることになり、その際、企画とプロデュースを主導するチーフプロデューサーを私が担うことになりました。もっと簡単に言うと、「長崎さるく」の大阪版をやろうということなのです。「長崎さるく」がコミュニティ・ツーリズムであるということは上記の箇条書きに照らしてもまったく間違いないことで、それならやってみようかということになったのです。大阪は私の生まれ故郷、「汚い・怖い」などと都市としてのイメージが損壊していた当時でしたから、そのことへの反発も「あって、やってみようという決断がつきました。

なぜ、いま、大阪にコミュニティ・ツーリズムか
聖天山.JPG なぜ、いま、コミュニティ・ツーリズムかについては、すでに「長崎さるく博」や「観光による地域活性化」のところでもくどくどと書いているように、名所旧跡・温泉宴会・観光バスの観光のみにこだわっていては、日本の都市観光が発展しないばかりか、それによる都市文化の形成や都市生活の充実が期待できなくなるということがあります。日本の都市をこのまま放置しておいては日本の国力の低下とともに見捨てられた世界の田舎都市になりかねません。いまこそ都市の市民文化を促進させる「まちづくり」が必要なんです。すなわち、コミュニティ・ツーリズムの定着が急がれるのです。  
 大阪には別の特殊な事情もあります。近年、大阪のイメージが悪いのです。博報堂の都市イメージ調査によると、「大阪」に何らかの都市イメージを思い浮かべる人は85%もあるのに、「行きたい」と思う人は65%しかいません。つまり「知っているけど行きたいと思わない」と、極端に言えばこういうことになります。
 大阪の都市イメージをよく分析してみると、どちらかというとマイナスのイメージが目立ちます。「食い倒れ」「庶民的」「お笑い」はまだよいのですが、「ごちゃごちゃしている」「コテコテ」「行儀が悪い」はいただけません。「怖い」「汚い」となれば大阪人である私は聞きたくもない評価です。これらのイメージはマスコミによって拡大された誇張と誤解がありますが、大阪市民自らが自虐的に楽しんでいる部分もあります。このことで、本来の大阪という都市が持っている深い文化価値が見失われ、忘却されていくことはとてもおそろしいことです。大阪にとって大きな損失であるばかりか、日本文化の重要な部分を欠落させてしまうことにもなります。  
 近松門左衛門や井原西鶴、そして織田作之助にいたり開高健、司馬遼太郎につながる文学の脈絡、人形浄瑠璃(文楽・義太夫)、上方歌舞伎、能狂言、落語、講談、浪曲、喜劇といった芸能、話芸、演芸の広い土壌、日本を代表するなにわ料理・懐石料理、鍋物・汁物の出汁(だし)文化、たこ焼きやお好み焼きなどの庶民料理の豊かさ、大阪には何を食べてもうまくて安い食道楽の環境、華道・茶道の普及、四天王寺・住吉大社の一級の寺社、アジアを代表する繁華街のミナミ、そしてなにより、民衆が時代の権力におもねることなく自律して受け継いできた「自分たちのまちの生活と文化」、大阪が日本の他都市よりも優れていて、市民が胸を張って誇るべきものはいくらでもあります。  
 これらを生かして大阪を分厚い市民文化のまちにしていくために、大阪のコミュニティ・ツーリズムの推進があります。そうすれば、イメージはおのずと変わります。「大阪は、“まち”がほんまにおもしろい」。これがキャッチフレーズです。

そして、“大阪あそ歩”の立ち上げ
 しかし、コミュニティ・ツーリズムなんて聞きなれないし、難しそうなので、敬遠する人も多いはず。そこで、これから展開していくさまざまな事業に“大阪あそ歩”という総称をつけて言い換えることにしました。つまり、なにより「大阪」をたのしく遊ぶということなんです。  
 では、どのような企画をどのように展開していくのか?  
 これが結構むずかしい。チーフプロデューサーとしてはっきり申し上げますが、大阪の市民文化を盛り上げてイメージを転換するなんて一朝一夕にできるものではありません。ましてや私ひとりが大見得きっても何ひとつできません。できるとすれば、多くの市民が「そうだ」と賛同してくださること。そしてみんなで「よいしょ」と取りかかること。この方法しかありません。ところがさすが大阪です。すでに個人で、仲間と、「大阪を何とかしなくっちゃ」と独自の企画で立ち上がっておられる方々が何十人もおられることを知りました。同じ思いをもってくださる方なら数百名以上、千名以上もおいでになるかもしれません。協議会設立から1ヶ月も経たない間に、私は30名を超える方々と「一緒にやろう」と握手を交わすことができました。なんとなくできそうな気がします。

全150コース 4万人参加
 「大阪あそ歩」が発足したとき、2008年10月にすぐに4本の企画で存在を世に問いました。そのうち「まち歩き」は2コース、①「異文化のまち・コリアタウン」 ②「祈りのまち・住吉」、そして「まち遊び」が2本で①大阪物語シリーズ「心中天網島」②大阪くいだおれ「高麗橋吉兆」です。この発足4企画には「大阪あそ歩」の基本精神がきちんと織り込まれています。「まち歩き」も大阪城や新世界といった著名コースはあえて避け、大阪を代表する文化の一つであるコリア文化の歴史と現在を、日本最古の神社・住吉大社界隈の民衆の生活を取り上げました。「まち遊び」も、いきなり近松門左衛門の世界と大阪の味文化の象徴、吉兆です。  
 これらをA4サイズのチラシに刷って友人知人に参加を進めることから、いよいよ「大阪あそ歩」のスタートです。正直言ってとても苦労しました。だって「大阪あそ歩って、何するの?」という状態ですから、人々の理解が得られません。しかし、やってみると、それなりに、どこからか人は集まるものです。これが大都市大阪の強みでしょうか。しかも、誰もが「大阪」に強い関心を持っていることが、分かりました。  
 それならということで、2009年の春には、25コースを作成しました。その秋には68コース、翌年2010年春には120コースほど、秋には160コースを超えて、2011年春には全150コースを完成させ、『マップ集』まで発行するに至りました。ものすごい勢いです。「大阪はまちがほんまにおもしろい」という限りは、具体的にどこが面白いのかを示さないと話になりません。いつまでも大阪城や海遊館やUSJではないのです。そこで150コース、大阪は人口260万人ですから1万7000人に1コースという徹底的にローカルなコースづくりにこだわりました。それを量販店よろしく店頭にズラッと並べて「どや、大阪はおもろいでっしゃろ」と見栄を切る、これをやり遂げて「なに無茶しよるねん」と人々を驚かし「大阪あそ歩」に興味を持ってもらう。これが作戦です。  
 この作戦は見事に成功しました。マスコミは何度も取り上げてくれましたし、参加者は着実に増加していきました。なにしろ、「まち歩き」は1本実施の参加者定数は15名ですから、参加者数の数字はなかなか積み上がりません。しかし、3年目には述べ参加者数1万2000名を超え、5年目には2万名を超えました。春・秋の中心になる実施期間には100本ほどの企画に1000名以上の参加者を募りますが、あっという間にいっぱいになり、予約者数は定員数をオーバーしています。「まち歩きマップ集」はその1・2・3と3分冊で発売しましたが、総数で2万部以上を販売しました。ガイドさん、サポーターさんの数も、総数で100名に達しました。  
 「大阪あそ歩」は、ここまでやってきました。このスピードと量感は、「長崎さるく」という先行者の経験をそのまま大阪に持ち込んで、大阪らしいアレンジを加えてやったから可能になりました。長崎は減少した観光客を増加させるという目的をもっていましたから、長崎市を挙げての爆発力が必要でした。大阪市は、大阪にコミュニティ・ツーリズムを実現して観光の質を変えるということが目的でしたから、市民にじわりと染み込んでいくという作戦を立てました。この3年間、大阪のイメージが「お笑い・たこ焼き・タイガース」から着実に「まちがおもしろい」という方向にシフトしつつあると、お気づきになりませんか?
 なんやかやで、「大阪あそ歩」は2012年に第4回観光庁長官表彰を受賞しました。レディ・ガガも福山雅治さんももらってはる賞です。

自立した市民活動で継続を~一般社団法人大阪あそ歩委員会の誕生~
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 「大阪あそ歩」の次の課題は、行政の支援を離れて、完全に自立した市民活動として継続していくことです。「大阪あそ歩」の立ち上げ時は大阪市からの多額の財政援助にたよった事業展開を行ってきました。大阪市が始めたいと望んだのですから当然ですが、コミュニティ・ツーリズムの担い手は本来が市民そのものであるべきで、財政的にも自立しているのが理想です。
 そこで、「大阪あそ歩」は、市民ガイド自らが運営し、自らが資金負担する完全に自立した市民活動を目指すことにしました。これが可能になると、行政の予算に依存せず、したがって行政の意図に左右されない活動が可能になります。
 このような自立した市民活動を大規模に展開している例は、ほとんど見かけません。
 全国の「まち歩き」事業の先頭に立って旗を振っている「大阪あそ歩」としては、その活動を完全に市民自らが支えるという課題に、いま、挑んでいます。これが達成できれば、「どうや、大阪人はたいしたもんやろ」と自慢させてください。それだけです。
 と、かっこつけて書きましたが、実は、話は順序が逆で、大阪市の財政が逼迫している折、「この辺で予算は打ち切りや」と補助金ゼロを通告されてしまったのです。「大阪あそ歩」4年目のことです。「ここで止めるべきか、止めざるべきか」とハムレット流に悩みましたが、「何としても続けたい」というガイドさんたちの思いに押されて、自立継続を決定したというのがホントのところです。「大阪市も自分で始めといて、いまさら勝手にやめるなんて」という恨み節はありますが、ユニフォームもマイクも旗もつくってもらい、150コースのマップも完成し、日本一の「まち歩き」が出来上がったのも大阪市の支援があったからこそのこと、感謝こそすれ「あとはワテらのチカラでなんとかやって見せますわ」というのが本音です。
 「大阪あそ歩」の思わぬ事態の思わぬ展開! そこで何より運営コストの極小化、そのために運営方法の徹底した省力化・合理化を行い、一方で他者に依存しない自立した収入源の確保し、そして活動内容の規模と質を維持するという超難問に、いま、「大阪あそ歩」は挑戦しました。
 そして立ち上げたのが一般社団法人大阪あそ歩委員会です。
 もちろん利益を求めない非営利型の団体で、ガイドがすべてを自立して運営します。経費の極小化のために事務所も事務員も、そして電話もありませんが、春秋のシーズンはもちろん、通年でさかんに大阪の「まち歩き」を展開します。いままで12年間で参加された方は累計4万人を超えました。ガイドさんも高齢でお辞めになった方も多くおられますが、その代わりに新しい方がどんどん加わっていただいて、現在50名ほどで安定しています。さらにOsakaMetroや府立中之島図書館とコラボするなど、もはや大阪名物「大阪あそ歩」になりました。
 こんないうまくいく秘訣はなにか、このあたりのことはいずれ書かせていただきますが、補助金ゼロ・事務所員ゼロ・電話なしの非営利型一般社団法人の「大阪あそ歩」を参加される方々が温かく育てていただければと願っています。