アーバンリゾートフェア神戸’93

真夜中の太陽001.jpg

会場のない博覧会―――
アーバンリゾート都市という概念の提出
朝日新聞93-4-2.jpg朝日新聞93-4-21990年に神戸市の笹山市長から、神戸が目指すべき都市像の提案を求められました。大阪には商都という都市軸があり、京都には歴史という都市基盤があるが、神戸には?ということで、茶谷が提出したのが「アーバンリゾート都市」という概念です。神戸には六甲山という山と瀬戸内海という海が都市の性格を決定していますから、その性格を一部を正面切って打ち出すこと――夏の夕刻になれば山上の涼風に吹かれて会議をすればよいし、冬の夜には船上でワイングラスを手に話をすればよい、という東京や大阪では不可能なワークスタールが、つまりはライフスタイルを実現しよう、という「夢体験」の提唱でした。

始まりは4月1日午前0時ハーバーランドから
神戸アーバン パンフ0005.jpgオープニングちらし
それでは実際に「アーバンリゾート都市」なるものを「やってみろ」というご命令を受けて、茶谷が実験的に組み立てたのが「アーバンリゾートフェア’神戸93」です。神戸市内全体で都市生活を魅力的にする多様なイベントを展開する。NYのミュージカル上演、国際的なスポーツ協議会、ルーブル美術館の特別展から地域の伝統イベント、無数の市民参加の日常イベントを混在させて・・・というのがプロデュース・コンセプトです。
会場型の博覧会全盛だった時代にオープンエリア型の大規模都市イベントを展開するのは日本初、そのチーフプロデューサーを引き受けた茶谷にとっても初体験でした。準備に3年そして本番の183日間は「何度か阪急電車に飛び込みたくなった」ことを思い出します。MCCお礼はがき2.jpg
オープニングは4月1日の深夜0時、出来上がったばかりのハーバーランドでのステージでした。「真夜中に神戸港に太陽を上げる」と宣言して始まりました。9月30日まで実施したイベント数513、参加者総数1635万人という結果を神戸市が発表しています。フルーツフラワーパークも、布引ハーブ園も、ハーバーランドもこのフェアの一環としてオープンしました。猪突することしかできなかった私ですが、この実験的な都市博はおどろくほど成功しました。記憶にのこることは婦人会のみなさんが市内主要道路に掲げるバナーを何千枚も手作りしてくださったこと、市民トイレに飾る花器生け花を何十本も提供してくださったこと。市内に数多いポケットパークが造られたこと。
しかし、みごとに方向づけられたかと思った「アーバンリゾート都市」の構想は、2年後の1月の大地震で、木っ端微塵に打ち壊されたのです。神戸はなにもかもかなぐり捨てて都市再建に向かいます。茶谷は、このフェアのプロデュースを土台にして、市民参加型イベントのプロデューサーとしての道を歩むことになります。

NY for HKS005.jpgNYでハーレムキッヅシンフォニー出演者と事務局で002.jpg事務局事務局002.jpg事務局内のようす