長崎さるく博

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日本ではじめてのまち歩き博覧会
2006/4/1~10/29 (212日)

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「さるく」というのは「ぶらぶら歩く」という長崎です。だから、「長崎さるく博」とは「長崎をぶらぶら歩く博覧会」ということで、世にも珍しい、まちを歩くだけの博覧会でした。開催前は世の関心もけっして高くなく、プレプレ、プレ、本番と3年かけてやったのですが、正直に言って本番になってやっと注目を集めだし、開催中は日を追って爆発し、閉幕後に日本中の観光やまちづくりの関係者からとんでもなく大きな評価が与えられて、尾ひれがついていまや神話になっている‘変な’博覧会でした。私はコーディネートプロデューサーとして、してやったりというところですが。
 この博覧会の一部始終は、拙著『まち歩きが観光を変えるー長崎さるく博プロデューサーノート』に詳しく書きましたからぜひお読みください。また、当時の『記録集』も長崎市から発行されています。博覧会当時のホームページサイト「長崎さるく博'06」も残っているし、現在継続中の「長崎さるく」のサイトでもその様子がよくわかります。
 そこで、ここでは「長崎さるく博」の何がすごかったのかを、当時の私のブログなど集めて、少し私的に報告しておきます。


きっかけと結果

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 きっかけは、長崎への観光客の減少が続き、何とかしなきゃという焦りが市民の間に横溢していたこと。1990年に「長崎旅博覧会」が開催された年には628万人を記録した観光入れ込み客数(観光客数)は、その後、少しずつ下降して2004年には493万人になっています。真綿で首を絞められるように14年で135万人を失いました。このままでは観光都市・長崎は消滅してしまうのか―長崎市民がそう考えてもおかしくない状況でした。事態は深刻です。そこで彼らは真剣な議論を幾度も重ねました。

 ①もう一度「旅博」のような派手な博覧会をやってみるか。
 この考えには反対意見が噴出しました。「博覧会は一過性。むしろその反動が大きくて、その後ずっとジリ貧なのが問題なのだ」「人口40万人の地方都市に、もはやそんなカネがあるわけない」「あのとき、地元には何も残らなかったのを忘れたのか」

②長崎のまちは、何もしなくとも楽しいよ。
 長崎市民ですら長崎のまちをよく知っている人が少なくなった。観光客もグラバー園と平和公園を覗いたらハウステンボスへ直行。それだけ。(ハウステンボスは長崎市ではない!!) この際だから、長崎のまちのよさをもっと知ってもらおう。それには「まち歩き」が一番だ。ということで、議論の決着はつきましたが、問題は・・・・・

③「まち歩き」で観光客が来てくれるかということ。
 「まち歩き」程度のことで観光客が増えるならこんなにジリ貧にならなかったのでは? 特に観光関係者から「それですむなら何にも苦労しない。そんなの企画でもなんでもない」と、冷笑される始末。こんなことで観光客ジリ貧に歯止めがかかって、大逆転がおこりますかね。という至極当然な批判が巻き起こりました。

 そこで、茶谷プロデューサーにお声がかかりましたが、いやはやこれは難題ですぞ。しかし、「まち歩き」とは眼の付け所がすばらしい(これからの観光は都市生活観光だという茶谷のかねてからの主張とピッタリあった)! 「まち歩き」は外国旅行ではみんなやっているのに国内観光ではなぜか不人気。そこで、七転八倒、乾坤一擲、成せばなる成さねばならぬで、相次ぐ批判には耳を貸さず目をつむり、「なにをやっても効果がなかった」という事実を味方につけて、「まち歩き」をやてみるかということになりました。さて、どうするか。どうしたかは、しつこいけれどあの本を読んでください。それは奇跡ともいえる結果を招いたのです。


結果は、奇跡です。
 本番の2006年、212日間に長崎のまちを歩いた人は723万人(述べ数)で、博覧会のイベントへの参加者数とあわせると1000万人にもなりました。問題の観光入れ込み客数も570万人を記録(従来と同じ方法の統計結果:市町合併で増加した38万人を含む)しました。特筆すべきはジリ貧からV字回復したことです。このことで「長崎はまだまだやれる」「すごいね、このまち」という意識が市民に再確認されたことです。経済効果(3次波及)は865億円。直接経費の96倍という国際博でもありえない効果を産み出しました。このことで博覧会後に全国の観光関係者から大きな注目が集まり、評価が大きく高まりました(博覧会開催中に評価してくれていたら、私の鼻ももっと高くなったでしょうに)。

もっとすごいことは、
全部「市民がやった」こと
 「長崎さるく博」が、いまになっても観光やイベントの関係者からびっくりされているのは、博覧会のすべてを市民の手でやってのけたことです。
 市民主体、市民主導と言うのは簡単だけれど、こんな厄介なことはありません。市民は、ふつう、そんなに頑張らないものだし、頑張ってもごく一部の人たちに限られています。責任も取らないからすぐにやめてしまいます。簡単に言うと、市民なんてアテにならないのです。だから、このような大型イベントを成功させようとすると、プロのイベント業者に頼んで無難に処理してもらうのが常です。そんな場合、市民の出番は観客か入場者としてであって、博覧会の運営に関わることはほとんどできません。
 しかし、長崎では、延べ数ですが29,186人もの市民が、直接、頑張りました。中心になったのは「まち歩き」を212日間ガイドとして博覧会の主役になった400名ほどのガイドさんと、博覧会運営のさまざまなパートを引き受けてくれた市民プロデューサーと呼ばれる100名ほどの市民です。この人たちを核にして、雨の日も風の日も(実際、台風13号は酷いものだった)、酷暑の坂段にもめげず長崎市民が博覧会を最後まで引っ張っていってくれました。「つらくて辞めたいのならそう言ってほしい。そうなったら博覧会をすぐ中止するから」と、私はよく叫んでいたものです。
 なぜ、市民がこんなに頑張ったのか。そんなこと簡単に説明できるものではありません。だから、「この本」を、ぜひ、読んでください。その市民が、翌年の統一地方選で、選挙中に凶弾に倒れた伊藤一長(前)市長の後継者として、「さるく博」関係者のひとりであった市の一職員を選びました。そのことの成り行きも「この本」にはばっちり書いてあります。その一職員とは、現在の田上市長さんで、すでに2期目、名市長との声もかかり始めてきました。

うれしかったことは
 そりゃ、うれしいことはいっぱいありましたが、プロのプロデュサーとして想定外の喜びは、この博覧会の構造がすばらしいと「Gマーク」(グッドデザイン賞)をもらったことです。
 なんたって、イベントの賞はいくつももらったけれど、商品などの優れたデザインに与えられる「Gマーク」とは思いもかけなかったこと。キャンペーンの「仕組み」が賞の対象になるなんて、考えもしなかった。

〈審査員のコメント〉エクスペリエンスデザイン。新しい観光の発掘方法として有効。都市を多層的な経験の総体として捉え、楽しめるようにし都市をデザインの対象としている考え方、市民参加型の観光プログラムとして徹底したデザインマネジメントが計られている点、経験をデザイン化している点の各点を評価。

 なんとすばらしいコメントなんだろう。こんなふうに「さるく博」をとらえてくれる人たちがいたんだ、とそのことがとてもうれしかった。

その後は、もっとすごい!
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 「長崎さるく博」は、博覧会後も長崎市民によって継承されて2007年、2008年、2009年・・・・2014年と続いています。もちろん「博」はとれて「長崎さるく」になりましたが、大規模イベントが、ほぼそのまま、それ以後も継続されているなんて、日本ではほとんど例がありません。しかも、その集客効果は博覧会当時を上回る年もあります(NHK大河ドラマ「龍馬伝」のおかげです)。「まち歩き」は、いまでは長崎での日常の光景、「いつでも長崎さるく」が実現しているといえます。詳細はいまのホームページ「長崎さるく」をじっくりとごらんください。