やっとかめ文化祭

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やっとかめの名古屋
名古屋市から文化イベントのプロデュースを頼まれました。「東と西に挟まれて何も見えない名古屋を何とかしてほしい」というのが名古屋市の思いです。大阪の私も東京にはよく行きますが、名古屋は素通りすることが多くてよく知りません。しかし人口220万人の大都会です。「何とかしたい」という依頼の誘惑には勝てず、おそるおそるこの仕事を引き受けました。わかったことは、名古屋は実に深く滋味豊かなまちだということです。そこで「やっとかめ」という名前の文化祭を始めました。いまも継続されていますが、基礎をつくった1年目と2年目が私のプロデュースです。
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名古屋は、まさに、まちが舞台
神戸のアーバン以来、茶谷が磨いてきたプロデュースの技は「まちを舞台」というものでしたが、名古屋はまさにそのことがぴったりの都市でした。「芸どころ名古屋」と言われ、まちの隅々まで芸達者があふれています。琴、三味線から太鼓、笛、そして能、狂言に至るまで、芸術が身近にある都市です。徳川御三家の筆頭であった尾張藩の面目躍如というところでしょうか。このことはあまり知られていないことで、東京、大阪に偏った情報の弊害です。都都逸も名古屋が発祥だし、踊りの西川流の家元も名古屋、とくに和泉流狂言は名古屋が本流です。これらの優れた技を一気に表に出そうというのが、「やっとかめ(おひさしぶり)」という名称を与えた文化祭のコンセプトです。

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名古屋でしか実現しない
そのなかで和泉流の狂言に目をつけて、いくつもの狂言を街なかで、つまり栄や大須の繁華街の路上で、地下鉄の駅で公演しようということにしました。名古屋狂言の名士たちは「能狂言の原点である猿楽とはそのようなものだ」とこの乱暴な試みを受け入れてくれました。こうして「やっとかめ文化祭」の目玉「辻狂言」がうまれました。「辻狂言」は、さすが名古屋だと思います。東京や大阪でも無理です。名古屋でしか実現しないことです。もともとそのような技と意識を持つ芸人がこの都市に多く存在しているのですから、私は仕組みと場所をつくっただけのこと。ですから、2年で、跡を汚さないようにこのイベントから去りました。いまも、継続できているのは、本来の名古屋の実力で、もはや私の出る幕ではありません。

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「まち歩き」も本物です
もちろん、市民参加のまち歩きも「やっとかめ文化祭」に組み入れました。そもそも名古屋は「まち歩き」のさかんなまちだったのです。大須でも中村でも有松でも、長崎や大阪に負けず劣らずすばらしい「まち歩き」が形成されています。私は、それらを丁寧に保存して「やっとかめ」という名前で残すことに努めました。