世界リゾート博

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会場型博覧会をやってしまいました―――
新聞記事001-2.jpg地方博と地域一体化の試み
神戸の都市博の準備を進めているさなかに、茶谷に閉鎖型会場の博覧会プロデュースの依頼が来ました。和歌山の博覧会構想が暗礁に乗り上げているというのです。そこで、地域一体化イベント主体が認められるのならという条件で引き受けました。構想の一部も書き換えて通産省(当時)へ説明にも行きました。プレイベントと称して県内各地、勝浦でも高野山でも、地元巻き込み型のイベントをやりました。本番の住金工場跡地での会場博覧会でも、イベント主体を主張して「体験型」をキャッチフレーズにしました。当時、リゾートという言葉が流行していて、恥じらいもなく「世界リゾート博」という名称を採用し「21世紀のリゾート体験」を唱えたことなど、今思えば微苦笑ものです。

72日間、298万人という記録
リ博会場027-2.jpgり博会場内
これが大当たりしました。7月16日から72日間に298万人、1日平均4万人超との有料入場者という地方博の記録をうちたてました。これはその後も破られていません。閉門後に帰途につく大量の入場者をさばくために、会場近くのJR海南駅では深夜の臨時電車を何本も発車させました。会場内では、売れすぎてソフトクリームが固まるヒマがなかったこと、売れすぎて名物目張りずしを握る女性が何人も腱鞘炎を起こしたことなどがエピソードで残っています。会場での宿泊体験やクルーズ体験などは体験型のテーマそのものでした。いまも営業しているテーマパーク「マリーナシティ」をイベント会場組み込んだこと、獲れたて海産物のバーべキュースタイル「黒潮市場」が創出されたことなど、イベントがパビリオンを凌駕した地方博だったのです。

苦い思いをひきずって
世界リゾート博最終日001.jpgイベント班と世界リゾート博004.jpg
とはいうものの、茶谷には苦い思いがいくつかあります。第一は、会場内がどれほど賑わっても会場外の和歌山市内はその恩恵を全く受けなかったこと。商店に客が増えるのでもなく、特産品が売れるのでもなく、タクシーなどは市内が混雑して「商売にならない」と運転手がこぼしていました。会場型の博覧会は、所詮、移動遊園地なのだという意識を私は強く持ちました。しかし、この苦い思いがこの後の茶谷のイベント発想に大きく影響していくことになります。