経営企画センターという会社
茶谷が電通を辞めて独立して昭和56年に開業し、58年に法人化した。当初はマーケティングを中心にした経営コンサルで食っていこうとしたので、経営企画センターという名前にした。カネも後ろ盾もなかったので、固い名前にして信用を得ようとしたが、いま考えると安意地を張っている感じが否めません。そこへ、今井くんが飛び込んできて、今井くんがやっていたイベント事業を取り込むことになりました。茶谷は電通ではクリエイティブ局に在籍してTVCMやイベントの制作をやっていたので、まるでお門違いというわけではありません。
創業当時高麗橋事務所
北浜事務所平野町事務所
この会社が突然大きなイベントを引き受けるようになりました。その業績がこのに掲げた一連の写真です。茶谷が個人技としてやっていたマーケティングと茶谷と今井君が引っ張ったイベント制作が2本柱です。日本にイベントプロデュースという仕事を創り出しました。写真では平成11年に仕掛かり中の「南紀熊野体験博」と「しまなみ海道99」のプロデュースまでが記録されていますが、そのころ今井くんが独立し、茶谷が病を患ったために事務所を北浜から平野町に縮小移転して経営企画センターは茶谷の個人事務所として継続されました。その後に、「長崎さるく博」「大阪あそ歩」「名古屋やっとかめ文化祭」と今に続く事業をプロデュースすることになります。
北浜事務所
あの日、あの頃、虹色の夢
JR大阪駅にあった展示前でアメリカへ社員旅行オーランドで